履歴書 | 成田空港周辺の不動産(戸建て・土地・事業用・倉庫)は【おひさま不動産】

  • 10:00~18:00
  • 毎週水曜・日曜
  • 来店予約
  • 会員登録
  • 履歴書

    当社代表 渋谷 幸英の”履歴書”です。
    不動産屋って、一般の方からすると、とっても敷居が高いみたいです。
    「どんな怖い人がやっているんだろう?」と思って、恐る恐る来てみたという方(特に女性のお客様)も結構いらっしゃいます。
    このページは、当社の敷居を少しでも低くして、ご来店いただければ嬉しいとの思いから、書いてみました。
    コーヒーブレイクのおともにお読みいただければ嬉しいです。

     

    1965年春 東京で生まれる

    気がつくと、あっというまに半世紀以上生きてきてしまいました。人生ってあっという間なんだなと思う今日この頃。
    子供のころはガキ大将で、日が暮れるまで外で遊んでいました。あの頃は常に面白い遊びを次から次へと思いついた者です。どんな子供も持っている、あの想像力はいったいいつ、消えてしまうのでしょう? 少しでも取り戻したいものです。

     
    1972年春 小学校入学

    あまり思い出したくない時代です。私は家に帰ると近所のちびっ子たちを集めてガキ大将をしていましたが、学校ではいじめられていました。遊んでばかりいるから勉強もできず、服装も女の子っぽくはなかったからかもしれなません。だから学校では無口で、ほとんど話をしない子でした。
    そんな私に転機が訪れたのは、小学校5年生の時。担任の先生は、ちょっとのことでもほめてくれる先生でした。私はほめられるのがうれしくて、一生懸命に勉強するようになり、気がつくと成績が上位にあがっていました。
    SF小説と歴史小説を読むのも大好きでした。その頃の将来の夢は、小学校の先生になること。その夢はいつのまにか忘れてしまいましたが。

     
    1978年春 小学校卒業 中学校入学

    中学校へは毎日30分かけて、歩いて通いました。今考えると、これは基礎体力をつけるのにとてもよかったのではないかと思います。みんな部活動をしていましたが、私は帰宅部。そのころの私は結構ませていて、詩とか短歌が好きでした。作者は忘れてしまいましたが「降る雪や 明治は遠くなにけり」という歌が特に心に残り、今もよく思い出します。中学生ながら、私が生きている”今”も、いつか遠い昔のことになるのだなあと思うと、不思議な感覚になりました。
    それからもう一つ、中学生の時に忘れられない出来事は、ラジオから流れてきたQUEENの「somebody to Love」を聞いた時の衝撃です。体中に稲妻が走ったような感覚になり、それからずっとQUEENのファンです。特にフレディーマーキュリーは私の中で”神”です。最近、映画化され、私も見に行きました。評判は良かったようですが、私はあまり感動がなかったというのが正直な気持ちです。

     
    1981年春 中学校卒業 高校進学

    はじめて、親友と呼べる友達ができました。彼女とは今でも連絡を取り合っています。この頃はみんな、聖子ちゃんカットをしていましたっけ。私は1年生の時だけ卓球部に入ったものの、毎日球拾いばかりで、そのうち辞めてしまいました。それからはずっと帰宅部。読書が好きで、常に小説を読んでいました。

     
    1984年春 高校卒業 大学進学

    明治大学政経学部政治学科に入学しました、特に政治に興味があったわけでもなく、単に受かった大学の受かった学部に進学しました。高校卒業まで、あまり楽しいとは言えない毎日でしたが、大学生活はとてもお楽しいものでした。毎日飲み歩き、あまり勉強はしなかったことについては、後悔しています。

     
    1988年春 大学卒業 就職

    最初に就職したのは百貨店です。ここで2年ほどクレジットカードの業務を行った後、システム開発をする子会社に異動になりました。プログラムのプの字もわかりませんでしたが、それなりに仕事はしていました。
    当時、世の中はバブルで、夜な夜なディスコなどに繰り出していましたっけ。私たちの年代の人たちは、またバブルが来てほしいと思っている方が多く、そのことがヒンシュクを買っているようではありますが、私にはその理由がよくわかります。あの時代は、世の中全体がとにかく明るかったのです。

     
    1992年春 最初の転職

    4年間勤めた百貨店を辞め、中堅のIT企業に転職しました。
    この当時は、男尊女卑がまだ根強く残っており、私が最初に就職した会社もそうでした。この百貨店では、服を買いに来たお客さんに保険を売るというヘンな商売の仕方をしていたのですが、私は常にトップの売上でした。、頑張って売れば昇進できると信じていたからです。ところが、昇進したのは私ではなく、同期の男性でした。彼は保険を1件も売っていなかったにもかかわらず、です。私の心は怒りと悔しさとむなしさがごちゃまぜになった気持ちでいっぱいでした。こんな会社にいてもしかたないと思い、転職しました。それからすぐ、情報処理技術者試験を受けて合格しました。この頃の愛読書は、ナポレオンヒルの「思考は現実化する」・これを読みながら、悔しい気持ちをどこかで挽回したいと必死に頑張っていました。

     
    1996年春 2回目の転職 中小企業診断士試験合格

    コンサルティング会社に転職しました。小さな会社ではありましたが、社長は私を認めてくれて、私も頑張って仕事をしました。30歳の時、中小企業診断士試験に合格しました。国家資格だしかなり難しい試験なので、何かいいことがあるんじゃないか、と期待したのですが、全く何の役にも立ちませんでした。
    今思うと、資格を取るのはスタートラインに立ったにすぎず、自分でその資格を生かして何かを始めなければ、どんな資格も役に立たないということです。あの頃の私はまだ若く、自分で起業しようという考えも、ビジネスのアイデアもありませんでした。もったいないことをしたと、つくずく思います。

     
    1999年春 ようやく結婚

    私が結婚したのは、33歳の時です。今は33歳で結婚するのは決して遅い方ではないかと思いますが、当時は遅い方でした。毎日中小企業診断士試験の勉強をしていたので、コンカツもできず、気がつくと周りはみんな結婚していて、私一人が取り残されていた、という感じでした。
    結婚後、なんと私は一番似合わない”専業主婦”になりました。なりたくてなったのではなく、仕事に疲れてしまい、ちょっと休みたいという気持ちで仕事を辞めたわけです。それから、私の長い”老後先取り生活”が始まりました。

     
    2005年 一棟アパートを購入

    友人から、「この本面白いよ」と言われて読んだのが、当時ベストセラーになっていた「金持ち父さん 貧乏父さん」でした。この本に書かれていた内容は、私には衝撃的でした。どんなに頑張って働いても、それだけでは決して金持ちにはなれないのだ、とその本には書かれていました。金持ちになりたければ、お金に働いてもらわなくてはならないというのです。私はすぐにこの本を夫に勧め、それからほどなくして、一棟目のアパートを買いました。サブリース付きで収益率は11%でした。これで晴れて大家になったわけですが、生活は何も変わりませんでした。私は不動産の勉強など一切せず、ただ毎月、家賃を受け取るだけでした。それから2年後には、さらにもう1棟、アパートを購入しました。そのアパートは仙台にありますが、無道路でした。騙されたのです、不動産屋は無道路とは決して言いませんでしたし、重要事項説明書にさえそのことを記載していませんでした。結局、この物件は夫の名義から当社の名義に移し、今も当社で所有しています。一度売りに出しましたが、無道路であることを説明して売りに出したところ、売れませんでした。でも、人をだますより売れない方がはるかにいい。このアパートは、墓場まで持っていくしかないかな、と思っています。

     
    2006年 東京に家を買う

    結婚してからずっと、公団の団地に暮らしていましたが、家賃が9万円と、決して安くはなりませんでした。毎週末に新聞折り込みで入ってくる不動産のチラシを見ていると、東京郊外ならば2000万円もしないで家が買えます。毎週、不動産のチラシを見るのが楽しみになってきた頃、その物件に出会いました。夫が仕事なので、私一人で見に行くと、お化け屋敷のような家があるではないですか! 地下車庫があり、その上に家が建っているのですが、庭から地下車庫に向かって、ツタがわんさか生えています。それでも私は、この家が一目で気に入りました。出窓があっておしゃれな家。不動産というのは本当に”ご縁”なんだな、とつくづく感じます。たぶんこの家を気に入るのは、私くらいのものかもしれません。購入後、600万円かけてリフォーム。翌年には犬を飼い、楽しく暮らし始めました。でも、ひとつ大きな問題がりました。それは”寒い”ということ。昔の家は寒いのです。私は冬になると耳当てまでして寝ていたものです。

     
    2010年 多古町に2000坪の土地を買い、家を建てる

    夫が突然、田舎暮らしをしたいと言い始めました。それから毎日、インターネットで物件探しの日々です。まだ家を買ったばかりだというのに、もう引っ越す話をしているなんて、と思いましたっけ。その後、2009年に今の土地を見つけましたが、リーマンショックの時で、銀行がなかなか融資をしてくれません。不動産投資をしている、というだけでもうダメなのです。家賃収入もしっかりあるのに、事業自体がリスクだと言われました。自宅を売りに出したもののさっぱり売れず、自宅を売らないまま新たに土地を買い、家を建てるという無謀な計画でした。結局、フラット35でお金を借りることができ、家を建てて引っ越してきました。東京の家は、今も人に貸しています。売りたいけれど、住んでいる方は買ってくれず、今も持ち続けています。

    その後、私は庭づくりに励む日々を送り始めました。ターシャ・テューダーにあこがれて、庭をつくり、手づくりを楽しむ暮らしを、と思っていましたが、性に合わなかったようです。私の心は常に外に向いていました。

     
    2013年元旦 宅建を取って不動産屋を始めようと思い立つ

    この日のことを、忘れません。2013年の元旦に、私はなぜか宅建を取って不動産屋を始めるんだと思い立ちました。そしてその日からすぐに勉強を開始。独学で宅建の勉強をして、その年の試験に何とか合格しました。

    あの思いは一体なんだったんだろう? 思い出すたび不思議なのですが、なぜか思い立ち、それから何の迷いもなく一直線に突っ走りました。

    専業主婦になってからずっと、憂鬱でした。、自分でお金を稼ぐということは、自尊心を保つ上で非常に重要なことです。私はいつも、洋服やバッグなどを買うと、押し入れの中に隠し、半年くらいたってから、あたかもずっと前から持っていたかのようなフリをして使うようになっていました。なんとなく、やましかったからです。別に何の文句を言われたわけでもないのに、そんな気持ちになってしまっていました。

     
    おひさま不動産のあゆみ


    2014年3月10日
    式会社おひさま不動産設立。
    資本金500万円也。
    15年間の長い専業主婦生活に終止符を打ち、畑の真ん中の自宅を改装し、一人でひっそりと開業。
    <社名の由来>
    社名をどうしようか、1年間、ずっと考え続けました。ぽかぽかの小春日和の中、庭で猫車をひきながら抜き取った草を運んでいると、本当にあったかくて幸せな気分になりました。社名を決めたのは、その時です。おひさまのようにあったかい会社にしたいと思いました。

    2014年5月15日
    宅地建物取引業者免許取得。
    お客さんが本当に来てくれるのか、とっても不安な日々が始まりました。毎朝犬の散歩をしながら、「どうか最初の1件が決まりますように」ごお祈りしたものです。

    2014年8月5日
    1件目の不動産売買の仲介を行う。250万円の戸建賃貸物件の取引でした。いただいた仲介手数料は12万5千円。専業主婦生活が長かった私にとって、誰にお雇われずにお客様から直接いただいたお金がとてもありがたく、うれしかったことを、今でも鮮明に覚えています。一生懸命稼ぐことの尊さを、しみじみと感じたものです。

    2014年9月30日
    アパートを買い取る。ワンルームが6室のアパートでしたが、収益率はおおむね25%。4年で回収できる物件でした。この時、顧問税理士から、「経営がまだ不安定だから売るように」と言われ、売ってしまいましたが、後で激しく後悔しました。毎月、なにもせずに入ってくるストック収入こそ、経営を安定させてくれるからです。この時、経営判断を決して他人に任せないと誓いました。

    2015年2月
    賃貸管理事業開始。
    タナボタ式で、遠方の不動産業者からオーナー様をご紹介いただき、管理を開始しました。空き室ばかりで大変だったけれど、1室1室埋めていき、オーナー様からお喜びいただいた時は、本当に嬉しく思いました。

    2015年3月
    大型の事業用物件売買の仲介を行う。
    この頃から、畑の真ん中で生き残るには、成田空港周辺という地の利を生かし、事業用物件の仲介に力を入れる必要があると考え、それを実践してきました。

    2015年5月28日
    1棟目の空き家買い取り。
    この時から、本格的に空き家を買い取り、リフォームして貸しに出す事業を始めました。
    最初はリフォームの相場もわからなければ業者のツテもなかったので、かなり高い買い物になってしまいました。でも、ここで苦労して空き家買い取りを始めたからこそ、今があると思っています。これ以降、経営を少しでも安定させるべく、空き家買い取りを本格化するようになりました。

    2016年3月22日
    多古町商工会に加入。
    なんとなく加入したのですが、これといって何をしているわけではありません。知り合いから「情報収集は大事だよ」と言われ、一度だけ新年会に参加しましたが、あっという間に帰ってきました。人には向き不向きがあるのでしょう。苦手な場所に出没するより、仕事を通じて信頼関係を築いていきたいとの思いを強くしました。

    2017年3月25日
    著書「相続した田舎の困った不動産の問題解決します」を雷鳥社より発売。
    田舎の不動産を売るには、田舎の不動産特有の問題を解決する必要があることを、創業当初から痛感してきました。著書では、具体例を中心に、”不動産屋は見た”的な感じで、誰にでもわかりやすく読みやすく、を心がけて書きました。

    2018年2月
    夫である渋谷律雄が会社を辞めて入社。夫婦で力を合わせて不動産業にまい進する日々が始まりました。

    2018年11月
    ローコスト住宅建築事業開始に向けての準備を始める。
    ローコストを選んだのは、近隣に安い土地(空き地)が多く、そのような土地に安く家を建てられれば、土地と建物トータルで安く家を建てられ、空き地も減るので、お客様にとってもまちの活性化にとってもよいと考えたためです。

    2019年9月25日
    新店舗とするべく、コンビニ跡地を買い取る。
    いつも思うのですが、不動産との出会いは結婚後と同じく運命のようなもの。そろそろ自宅と店舗を切り離したいと思っていたころ、偶然にもコンビニの跡地を買い取る話が舞い込んできました。

    2019年1月8日
    店舗移転。
    畑の真ん中の自宅から、”国道沿い”に移転しました!
    リフォームに充てられる予算が少なかったので、正月2日から夫婦で店舗のリフォーム作業をしました。寒い中での作業でしたが、何とか頑張って、8日のオープンに間に合わせました。

    ローコスト住宅「らら♪ハウス」事業開始。
    こころがらら♪っと明るくなるような家づくりを目指し、「らら♪ハウス」と名付けました。
    不動産屋という仕事柄、新築を建ててもローンが払えなくて売らなければならない方や、そのような物件をたくさん見てきました。そうならないように、買う時も買った後もローコストな家づくりを目指しました。心の負担が軽いことこそ、幸せな家づくりへの第一歩と信じています。

    2019年5月15日
    宅建免許は5年ごとに更新します。
    あっというまに5年が過ぎてしまいました。新たな5年間は、不動産業と建設業との垣根をなくし、「土地の購入から家の建築まで」「中古住宅の購入からリフォームまで」をワンストップで対応できる企業に転換し、もっともっとお客様のご要望にお応えできるようにしていく方針です。

    2019年1月
    多古町間倉に1棟目のモデルハウスを建設。

    2019年1月6日
    建設業許可免許取得。



    長い文章にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。


PAGE TOP